プロレスとは
プロレス
お互いに理解した上で、喧嘩を含め激しい言葉のやりとりをすることを、お笑いの世界で格闘技のプロレスに喩えることがある。
概要
お笑いの世界やテレビ業界の用語として、あくまでお互いに理解した上で、場を盛り上げるために言葉の激しい攻防を繰り広げることを、比喩で「プロレス」と表現することがあります。
この比喩としての「プロレス」は、ある芸人さんが、毒舌を吐いたり攻撃的な絡みをし、受け手もまた、その絡みが悪意ではないと把握した上で激しく反撃するなどのリアクションをすることで笑いに繋がる展開を生み出すことを意味します。
プロレスが好きな芸人さんが多いことに加え、ある種の演出も交えた「攻め」と「受け」によってお客さんもエキサイティングするなど、笑いとの共通項も見られることから、喩えとして「プロレス」という表現が使われるという背景もあるようです。
しっかり「受け身」を取らないと、見せ場としての展開が起きず、「プロレス」にならないので、その場合、「プロレスしようぜ!」とツッコミを入れる場合もあります。
言葉で攻撃し、受け身を取る。その一連の攻防を観客に魅せる。
こういう共通点から、笑いの世界でプロレスと呼ぶことがありますが、その喩えが、単なる茶番や八百長的な意味合いで使われた際には、プロレスラーやファンから、プロレスはガチでやっている、という批判の声が挙がることもあります。
このプロレスの比喩の問題については、プロのインタビュアーでライターの吉田豪さんの以下のような指摘があります。
プロレスという単語が何かの比喩で使われる場合、大体「茶番」とか「八百長」的な意味でしかないのが、ボクにはどうしても納得がいかない。プロレスとは本来、もっとややこしいものなのである。筋書きのあるショーのはずなのに強さを求められたり、試合が突然ガチになったりもするし、ただ強いだけでも演技がうまいだけでも駄目な、説明しにくい特殊なジャンル。そういうものの言い換えとして使うべき代物なのだ。
たとえば、ボクが「近頃のアイドル界は対抗戦時代のプロレスみたい」と言ってるのは、ショーの中に内包されたガチの要素を意味してるのであって、ただの茶番だったらこんなに熱くなるわけない。ただのガチでもショーでもない複雑さが面白いわけである。
出典 : 吉田豪『書評の星座』