オードリー若林のブログ「どろだんご日記」
オードリーの若林さんが書いたエッセイ集のなかにも記載があるように、オードリーがまだ売れる前に若林さんが書いていたブログがあります。
このブログは、「どろだんご日記」というタイトルで、過去記事はすでに削除ないしは非公開になっているものの、ちらほらとネットを検索していると、内容が垣間見える記事もあり、当時の若林さんの雰囲気が伝わってきます。
古い記事はもう見れませんが、どろだんご日記自体は、現在も残っています(オードリー若林の「どろだんご日記」)。
ブログは、若林さんが2002年くらいから書き始め、売れる前は毎日の閲覧者数が50人程度だったということもあり、自由気ままに書いていたようです。
ただ、オードリーがM-1などをきっかけに売れ出した頃から、アクセス数が劇的に増加。ネット上では、若林さんは「中二病」だと言われるようになり、若林さん自身、「若林」「どろだんご日記」「中二病」で検索したら、次々にその手の意見が目に入ってきたそうです。
そして、気がついた頃には、閲覧者数も6万人となります。
若林さんは、そのときの心境について、エッセイ集『社会人大学人見知り学部卒業見込み』のなかで、「ブログは日記のようなものと捉えていて周りの知り合いの芸人さんやライブに来てくれるほんの数人のお客さんに向けて書いているつもりだった」のに、今や、「駅前でトラメガ(拡声器)を持って自分の内面の心情をがなり立てているようなもの」だ、と表現しています。
ブログは、日記ではなく街頭演説、と分かりやすい比喩で語っています。
確かに、ブログだけでなくSNSなども、もともとはひっそりと身近な数十人に届けるつもりで書いていても、フォロワーが増えたり、突然バズったりしてしまうと、発せられる言葉の意味合いが変わってしまうような感覚になります。
でも、だからと言って、最初からずっと世界中の不特定多数を意識して言葉を選んでも、無難な内容ばかりになり、大した面白みもないでしょう。
SNSの浸透もあり、いっそうこの辺りの秘密基地感は失われていっているかもしれません。
いずれにせよ、こうして世間の目に晒されたどろだんご日記によって、若林さんは、自分は社会から見たら中二病のイタイやつなんだ、と知ったそうです。
現在、若林さんは、ブログは行っておらず、SNSと言うとインスタくらいになります。
インスタは、告知もあり、それほどプライベートといった雰囲気でもありませんが、若林さん個人の視点や交友関係などを窺い知ることができます。
その他、noteで有料のエッセイも書いています(若林正恭の無地note)。
ちなみに、若林さんはSNSなどで悪口を書かれても真正面から受け止めずに、受け流すようにしているそうで、その根っこにある考え方は、「文章の変な人は変な人」だと言います。
変な文章で悪口を書いてくる人は変な人だから、別に気にしない、ということなのでしょう。