雑学

カミナリのたくみがバスケから学んだこと

カミナリのたくみがバスケから学んだこと

カミナリのたくみさんは、バスケがうまいお笑い芸人の筆頭格の一人で、学生時代バスケ部に所属。身長は160cmと、決して恵まれた体格とは言えないものの、中学時代には、全国大会に出場するほどの運動神経の持ち主です。

たくみさんがバスケを始めたきっかけは、4つ年上の兄の影響でした。

兄が先にバスケを始めたことから庭にバスケットゴールがあり、兄と一緒に遊びながらバスケに親しみ、その流れで小学校3年生のときにミニバスのチームに入ります。

たくみさんが所属していたミニバスのチームは県大会で3位に入るほどの実力で、部活さながらの厳しい練習ではあったものの、チームがスローガンとして大切にしていたことは「エンジョイバスケットボール」、勝っても負けてもバスケを楽しむ。

この「楽しむ」という姿勢は、たくみさんにとってミニバス時代に培われた貴重な財産となったようです。

一方、中学に進み、ただ「楽しむ:ということから、シビアな実力主義の環境に変わったことで、試合に出られない経験を積むなど、初めて本格的な悔しさも味わったと言います。

たくみさんが所属していたのは、茨城県鉾田市立旭中学校のバスケ部で、たくみさんの代は、茨城代表として平成15年度、第33回全国中学校バスケットボール大会(全中)に出場しています。

たくみさんも、背番号6を背負って試合に出場し、全国大会で得点も決めています。チームの成績は、一勝一敗で予選リーグを突破したあと、決勝トーナメントの一回戦で山口の長成に残念ながら破れています。

画像 : 全国中学体育大会

たくみさんのポジションは司令塔のポイントガード。スラムダンクでいう宮城リョータのポジションです。本人が自信を持っていたのはドリブルとパスとディフェンスで、シュートはそれほど得意ではなかったと言うものの、レギュラーとして出場し、3Pを3本決めています。

チームのプロフィールを見ると、当時のたくみさんの身長は153cm。バスケ部で全国大会に出場する男子選手の身長としては、恐らく相当低い身長だったでしょうが、その身長を凌駕するほど技術力や俊敏性に優れていたのでしょう。

高校時代もバスケは続けますが、中学のチームメイトが強豪校に進むなかで、たくみさんは地元の鉾田一高にスポーツ推薦で入学します。

中学のチームメイトたちは、茨城でも有名な強豪校に進む人が何人かいましたが、僕はミニバスや中学の延長線上で、地元で楽しみながら続けたいという気持ちがあったんです。

それで、地元の鉾田一高に、バスケのスポーツ推薦で入りました。

高校でも、やっぱり卒業生や地域の人が教えにきてくれたりして。僕にとっては地元の温かさを感じられる環境が、バスケをしやすい環境で。

おかげで、のびのびと楽しみながらバスケを続けられました。

出典 : 石田たくみ(カミナリ)│バスケもお笑いも、自分にルールを課しながらチームメイトと楽しむ

部活の経験を通して、たくみさんが学んだことは、①自分のルールをつくること、②物事に本気で取り組むこと、③自分の得意なことを伸ばすこと、という3点だとインタビューで語っています。

① 自分でルールを決める

誰かに強制されるのではなく、自分で自分に「あの電信柱まで走る」や「ブランコからあの木を越えるまで靴を飛ばさないと帰らない」といったルールを課す。そのルール自体を、遊びのように楽しむ。

② 挫折の経験

悔しさと、本気でやる、ということをバスケから教わったと言う。まだ芸人になって間もない頃、せっかく地元の友人たちがステージを観にきてくれたものの、一切ウケなかった。幻滅されたのか、以来、地元の仲間が誰も来てくれなくなったことがあった。バスケ時代の挫折があり、また相方と一緒に楽しんで頑張ろうと思えたからこそ、芸人としての挫折も乗り越えられたと語っている。

③ できることに集中する

挫折をしたら、自分には何もできることがない、誰にも敵わない、と思ってしまうこともある。でも、そんなときは、ひとまず一つ、できることからとことん練習してみること。たとえば、バスケならシュート。次にディフェンス。いっぺんに行うのではなく、まずできそうなことを一つ、とことん集中してやってみる。自分でルールを決めて、楽しみながらやってみること。

たくみさんにとってバスケというのは、芸人や人生においても、学びの多いものだったようです。

ちなみに、お笑いの世界でバスケがうまい芸人と言うと、「週8でバスケ」と豪語する麒麟の田村さんが有名ですが、田村さんも、「スピードが速くて、うまい」とたくみさんのバスケの実力を絶賛しています。