シュールとは
シュール
芸術の「シュルレアリスム(シュールリアリズム)」に由来し、不条理で、理性では解釈の難しい笑いのジャンルやテクニックのこと。笑いの世界以外でも使われる。
概要
お笑いの専門用語に「シュール」という、ジャンルのような、笑いの評価の一つの視点のような言葉があります。お笑いの世界に限らず、日常でも、「めっちゃシュール」「ほんとシュールな笑いだよね」といった表現はよく使われるので、聞いたことがあるという人も少なくないかもしれません。
シュールという言葉の由来を遡ると、もともとフランスの芸術に関する言葉「シュルレアリスム」に辿り着きます。これは、日本語に翻訳すると、「超現実主義」という意味で、1920年代にフランスで興った前衛文学芸術運動の際に使われた言葉です。英語由来の場合は、「シュールリアリズム」と表記します。
シュルレアリスムの始まりとして、20世紀前半、芸術運動「ダダイズム」の流れを汲み、詩人のアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を行ないます。ブルトンによれば、シュルレアリスムとは、「理性によるいっさいの制約、美学上、道徳上のいっさいの先入観を離れた、思考の書きとり」と定義しています。既存の枠組みから外れ、深層心理を表現した、夢のような世界、奇妙で不条理な、超現実感が、シュルレアリスムの表現の特徴と言えるでしょう。このシュルレアリスム(シュールリアリズム)が転じて、略語の「シュール」という言葉も使われるようになります。
シュルレアリスムの代表的な画家としては、キリコ、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットなどが挙げられます。
サルバドール・ダリ『記憶の固執』 1931年
ルネ・マグリット『観念』 1966年
一体何が描かれているのか、理性では割り切れない絵画。現実的な空間とは違う、奇妙な、しかし、必ずしも「非現実的」ではなく、まるで夢や深層心理を描いたような「超現実的」な世界が、シュルレアリスムです。
また、シュルレアリスムの走り的な芸術運動として、先ほども触れた、既存の秩序や常識を破壊する「ダダイズム」があり、ダダイズムの代表的な芸術家に、マルセル・デュシャンがいます。マルセル・デュシャンが、ただ小便器を置き、サインを書きつけ、『泉』と名付けた作品は、まさにシュールと言っても過言ではない表現となっています。
マルセル・デュシャン『泉』 1917年
シュールという言葉には、こういった芸術の歴史が背景にあり、日本でも、この言葉が芸術の世界やお笑いの世界を中心に、「シュールな◯◯」といった形容詞として使われ、今では、「この状況、ちょっとシュールじゃない?」といったように、「不思議な」「奇妙な」「変わった」などの意味合いで日常的に使用されています。
それでは、お笑いにとって「シュール」とは、一体どういった形を指すのでしょうか。
これは個人的な解釈を含みますが、日本のお笑いにおけるシュールの場合、余白や余韻、間のようなものが特徴として挙げられるかもしれません。ダダイズムや、ダリの絵画のように、不条理であったり既存の形の破壊を詰め込んだ「動」のシュールもある一方で、「静」のシュール、すなわち、「変な世界観のあとの静かな余韻」が、シュールと結び付けられることも多いような印象を受けます。
ちなみに、「シュール」の対義語として「ベタ」があります。ベタは、もともと「隙間なく並んでいること」や「一色に塗りつぶすこと」を意味し、「ありふれた」といった意味合いでも使われる言葉です。
よく耳にする「ベタ」という言葉を調べてみました。
順にあげてみますと、
①隙間なくものが並んでいること。
②印刷用の絵や漫画で一色に塗りつぶすこと。
③若者言葉として 「ひねりがなく、面白みに欠けること」とあります。
お笑い用語ではシュールに対し、ベタや王道といったものが対義語的な概念として存在すると考えられます。逆に言うと、ベタや王道が「リアリズム(現実主義的)」だとすれば、その対義語が「シュール」ということになるでしょう。
加えて、今の話と関連する「シュールなお笑い」の特徴として、ツッコミ不在、ということも挙げられます。ツッコミの存在は、「現実」との橋渡し役をするので、ツッコミが不在で、ボケだけが展開されると、絶妙な浮遊感が漂います。
また、仮にツッコミという役割の人がいても、ツッコミの形をなしていない(あるいは、軽い訂正程度でツッコミが弱めだったり、すかしが多用されたり、ボケがツッコミを無視してやりとりが成立しないといった)ネタやコンビの場合、不思議な世界観が維持され、理性で割り切れない空間が立ち上がります。その後、観客が、心のなかで、「意味わかんねえよ」「なんじゃこりゃ」とツッコミを入れ、その意味不明さが、内側から笑いとして込み上げてくる。これもまた、シュールなお笑いの特徴の一つと言えるかもしれません。
こういう点から考えると、ある程度「現実」との接点が維持されている「漫才」よりも、最初から不思議な世界観を作れる「コント」のほうが、シュールなコンビやネタは多くなる傾向にあります。
それでは、具体的に「シュールなお笑い芸人」としては誰が挙げられるでしょうか。
個人的にシュールなお笑い芸人の元祖という印象が強いのは板尾創路さん。また、それ以降に出てきた芸人で言えば、さまぁ〜ず大竹さん、ふかわりょうさん、おぎやはぎ、バカリズムさん、劇団ひとりさん、といった面々が浮かびます。他にも、最近のコンビで言えば、ラバーガールやスリムクラブ、野性爆弾、金属バット、天竺鼠、空気階段、ニッポンの社長など、シュールなお笑いと称されるコンビや芸人は決して少なくありません。
動画 : ニッポンの社長のコント「バッティングセンター」
シュールとは、というテーマで、ナイツの塙さんと、東京03の飯塚さんが語っている『笑辞苑』も面白く、参考になる議論が行われています。
動画 : 【笑辞苑】東京03飯塚と語る!元祖シュール芸人は●●…!【ナイツ塙】
この番組内で、飯塚さんは、「東京03はシュールと思ってネタをやっていない」と語っています。確かに、東京03のコントは、変わった人物やシチュエーションではあっても、理性で割り切れない、ということはなく、あくまで「現実」に即した王道のコントという印象があります。また、飯塚さんは、シュールなお笑いの起源として、最初に植えつけられたコンビとして、ダウンタウンの名前を挙げています。
ダウンタウンの「花屋」のクイズネタの空気感、ボケツッコミというのではなく、変なことを言ったあとの長い間というか、あれが一番最初に味わったシュールな気がする。(……)あんなひといなかった。(飯塚)
出典 :【笑辞苑】東京03飯塚と語る!元祖シュール芸人は●●…!【ナイツ塙】
その他、マヂカルラブリーはシュールなのか、という問いには、大きく括ればシュールかもしれないものの、シュールとは言い難い、それは村上くんがちゃんとツッコミを入れるから、と飯塚さんは説明します。塙さんも、シュールの一つの定義のラインとして、「ちゃんと代弁してくれる人がいるかどうか」が重要だと指摘します。
現実との接点、という話にも繋がりますが、この「代弁者がいない」ことで、不思議な空気感がふわふわと漂うことになり、その空気感そのものを、「シュール」と捉えている場合も多いのではないでしょうか。ただ、この空気感が、笑えるものかどうか、というさじ加減は難しく、この辺りが、「シュールなお笑い」と、「単なるナンセンス」の違いとも言えるかもしれません。