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シュールとは

記事内には、番組などの一部ネタバレが含まれている場合もあります。

シュールの意味

シュールとは、芸術の「シュルレアリスム(シュールリアリズム)」に由来し、不条理で、理性では解釈の難しい笑いや表現のこと。お笑いの世界以外でも使われ、「シュールすぎる」など一般用語化している。

シュールの語源

お笑いの世界において「シュール」という、ジャンルのような世界観を表すような言葉があります。

お笑いの世界に限らず日常でも「この状況はシュールだね」「シュールすぎる」などの表現はよく使われるので、聞いたことがあるという人も少なくないでしょう。


シュールとは、理性では解釈の難しいような不思議な世界観を意味し、シュールの語源を遡ると、フランスの芸術の用語「シュルレアリスム」に辿り着きます。

これは、日本語に翻訳すると「超現実主義」と言い、1920年代にフランスで興った前衛文学芸術運動の際に使われた言葉です。

シュルレアリスム宣言を書いた詩人のブルトンによれば、シュルレアリスムとは、「理性によるいっさいの制約、美学上、道徳上のいっさいの先入観を離れた、思考の書きとり」と定義しています。

フランスの詩人アンドレ・ブルトンが、『シュルレアリスム宣言/溶ける魚』(1924年)において、理性や道徳による統制を外れた思考の書きとりの実践と定義した芸術運動。両大戦間の芸術運動としては最大規模を誇り、世界各地にその影響を及ぼした。

出典 : 美術手帖「シュルレアリスム」

既存の常識的な枠組みから外れ、深層心理を表現した夢のような世界。奇妙で不条理な、超現実感。

分かりやすく言えば、「夢で見る光景のような、意味不明でなんとも不思議な世界観」といった辺りでしょうか。

シュルレアリスムの代表的な画家としては、キリコ、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットなどが挙げられます。

サルバドール・ダリ『記憶の固執』 1931年


ルネ・マグリット『観念』 1966年

このシュルレアリスム(シュールリアリズム)が、日本語のなかで略語の「シュール」という言葉として浸透していきます。

シュールには、こういった芸術の歴史が背景にあり、芸術の世界やお笑いの世界を中心に、「シュールな◯◯」といった形容詞として使われるだけでなく、「不思議な」「奇妙な」「変わった」などの意味合いで日常的に使用されています。

シュールなお笑いとは

それでは、お笑いにとって「シュール」とは、一体どういった形を指すのでしょうか。

これは個人的な解釈を含みますが、お笑いにおけるシュールの場合、余白や余韻、のようなものも特徴として挙げられると思います。

不条理であったり、既存の形の破壊を詰め込んだ「動」のシュールもある一方で、「静」のシュール、すなわち、「変な世界観のあとの静かな余韻」も、シュールと結び付けられることも多い印象を受けます。

現実的で頭によってわかりやすく理解できるもの(ベタ)とは反対に、「なんだこりゃ」と思いつつも笑えるような、頭で理解しようとしても意味不明な感じ、くすくすと内から込み上げてくるようなものが、シュールなお笑いと言えるかもしれません。

ツッコミ不在も特徴の一つ

もう一つ、「シュールなお笑い」の特徴として、「ツッコミ不在」ということも挙げられると思います。

ツッコミは、「現実」との橋渡し役をするので、ツッコミが不在で、ボケだけが展開されると、絶妙な「浮遊感」が漂います。

仮に「ツッコミという役割の人」がいても、ツッコミの形をなしていないこともあります。

軽い訂正程度でツッコミが弱めだったり、すかしが多用されたり、ボケがツッコミを無視してやりとりが成立しないといったネタやコンビの場合、不思議な世界観が維持され、理性で割り切れない空間が立ち上がります。

その後、観客が、心のなかで、「意味わかんねえよ」「どういうこと?」とツッコミを入れ、その意味不明さが、内側から笑いとして込み上げてくる。

こういう点から考えると、ある程度「現実」との接点が維持されている「漫才」よりも、最初から不思議な世界観を作れる「コント」のほうが、シュールなコンビやネタは多くなる傾向にあると言えるかもしれません。

シュールな芸人と言えば

それでは、具体的に「シュールなお笑い芸人」としては誰が挙げられるでしょうか。

個人的にシュールなお笑い芸人の元祖という印象が強いのは、板尾創路いつじさん。また、それ以降に出てきた芸人で言えば、さまぁ〜ず大竹さん、ふかわりょうさん、おぎやはぎ、劇団ひとりさん、といった面々が浮かびます。

他にも、最近のコンビで言えば、ラバーガールやスリムクラブ、野性爆弾、金属バット、天竺鼠、空気階段、ニッポンの社長など、シュールなお笑いと称されるコンビや芸人は決して少なくありません。

シュールをテーマに、ナイツの塙さんと東京03の飯塚さんが語っている『笑辞苑』では、「シュールな笑い」に関する議論が行われています。

この番組内で、飯塚さんは、「東京03はシュールと思ってネタをやっていない」と語っています。

確かに東京03のコントは、変わった人物やシチュエーションではあっても、「理性で割り切れない」ということはなく、あくまで「現実」に即した王道のコントという印象があります。

また、飯塚さんは、シュールなお笑いを最初に植えつけられたコンビとして、ダウンタウンの名前を挙げています。


ダウンタウンの「花屋」のクイズネタの空気感、ボケツッコミというのではなく、変なことを言ったあとの長いというか、あれが一番最初に味わったシュールな気がする。(……)あんなひといなかった。(飯塚)

出典 :【笑辞苑】東京03飯塚と語る!元祖シュール芸人は●●…!【ナイツ塙】

その他、たとえばマヂカルラブリーはシュールなのか、という問いには、大きく括ればシュールかもしれないものの、シュールとは言い難い、それは村上くんがちゃんとツッコミを入れるから、と飯塚さんは説明します。

塙さんも、シュールの一つの定義のラインとして、「ちゃんと代弁してくれる人がいるかどうか」が重要だと指摘します。

先ほどの「現実との接点」という話にも繋がりますが、この「代弁者がいない」ことで、不思議な空気感がふわふわと漂うことになり、その空気感そのものを、「シュール」と捉えている場合も多いのだと思います。

ただ、その浮遊した不思議な空気感が、「笑えるものかどうか」というさじ加減は難しく、この辺りが、「シュールなお笑い」と、「単なるナンセンス」の違いとも言えるかもしれません。