出オチとは
出オチ
奇抜な見た目など、舞台に上がった瞬間に「オチ」のように笑いが生じ、以降は尻すぼみになること。
概要
お笑いの世界の専門用語に、「出オチ」という言葉があります。
出オチとは、奇抜な見た目などで、舞台に上がった瞬間など、「出」てきた瞬間に「オチ」のように笑いが生まれることを意味します。
漢字で表記すると、「出落ち」です。
普通、「オチ」と言うと、「話の落ち」「物語の落ち」と言われるように、結末を意味し、お笑いの世界では、ネタの最後の笑いの部分を指します(動詞で言えば、「落ちる」「落とす」という使い方もします)。
この本来なら終わりに来るはずの「オチ」が、出た瞬間、冒頭に現れてしまうことを「出オチ」と言います。
コントなどで、舞台に出たときに客を笑わせるような仕掛け。出た瞬間に「落ち(最も笑わせる最後の部分)」と同じほどのインパクトを与えることから。
出オチは、決して褒め言葉というわけではなく、むしろ初っ端のインパクトによる笑い以降、笑いが生まれないような状況を指すこともあり、「出オチやないか」とネガティブなニュアンスでツッコミを入れられることも少なくありません。
過去には、この出オチに焦点を絞った、「NIRAMEKKO ~出オチ最強選手権~」という番組企画も放送されています。
「NIRAMEKKO」では、芸人たちが1人ずつ順番に10秒のネタを披露。残りの出場者はピンポン球をくわえた状態でスタンバイし笑いをこらえる。このルールのもと、より多くのライバルを笑わせた芸人が決勝に進出。最後は1対1の3本勝負に挑む。
漫才で言えば、たとえばオードリーのネタなども、舞台登場時の春日さんのインパクトが強すぎることから、ややもすると出オチになるかもしれない部分を、上手にネタの「つかみ」として昇華させ、その後の展開で笑いを生んでいます。
他にも、物凄く奇抜な格好をしているネタの場合、ネタの本筋に入る前にどっと笑いが起きることから「出オチ」と称されることもあるでしょう。
漫才などで最初のつかみは重要ですが、インパクトだけの出オチになってはいけない、そのバランスや展開力がお笑いのネタでは問われます。
元になっている「落ち」という言葉自体、一般用語ということもあり、「出オチ」という言葉も必ずしもお笑いに限った専門用語ではなく、漫画や映画などの批評の際にも使われるなど、一般社会でも割と普通に使用されています。
また、末尾に「感」をつけ、「出オチ感」といった表現をすることもあります。
出オチ感凄すぎ pic.twitter.com/323LQ9kc4G
— まいける (@michael_dqmp) March 8, 2022
物凄い出オチ感に心がほっこりしましたwww https://t.co/1frQnp3Khu pic.twitter.com/XVaqEfSpsG
— TK@NDZ (@Necodesignz) March 8, 2022
この「出オチ」と断言するわけではない、ふわっとした「出オチ感」という言葉も、Twitterなどで検索すると、相当数のツイートが見つかり、だいぶ一般的に使われている表現となっています。
ちなみに、「オチがない話」というのが許せないという人も少なくないようで、オチのない話をしたら、「で、オチは?」「え、オチないの?」と軽く詰めたり、ツッコミを入れられることもあるのではないでしょうか。
どうも世間的には、「オチが無い話」というものが嫌いな方は少なくないようです。ここで言う「オチが無い話」というのはおしゃべりをしている時などに、「この前さー、こんなことがあってん。・・・ま、それからどうなったか知らへんけど」とか、「なぁなぁ。あれなー、よくよく考えるとなんでああなってるんやろ。前から思っててんけど、おかしゅうない?・・・いぁ、、、答えは私も知らへんけど」とか、謎を提示しておきながらも、「結局どうなったのか」「結局何なのか」などを回収せずそのまま進行する話を指します。
必ずしも笑いで終わるオチだけでなく、普通に物語のオチのない話は、聴き終わったあとモヤモヤする、ということもあるのでしょう。
人間の心理的に、しっかりと「終わり」がないと落ち着かない、ということもあるのかもしれません。
せっかく聞き入ったのに、最後に落ちがないことで、「時間の無駄だった」と感じる現代社会の忙しさも、関係しているのでしょうか。
一方で、なんのオチもない話でも、「そうだよね」「わかる」と共感し合うだけで気が晴れたり、シュールな笑いに繋がったり、心地いい空気感の場合もあるでしょう。
オチのない話への感受性という点で言えば、細かく見ると、男女差(女性のほうが共感を重視し、男性のほうが結論を求める)や、地域差(関西地方のほうが笑いのオチに厳しい)などもあるのかもしれません。