オードリー若林、考えすぎの対処法は「没頭」
人間関係や仕事で問題があったときに色々と考えが巡り、「考えすぎ」が止まらず、どんどん落ち込んでいく。不安や心配、ネガティブな思考に締め付けられていく。
もしくは、こういった特別大きな悲しい出来事がなかったとしても、普段からついつい先のことを「考えすぎ」てしまったり、物事を「ネガティブ」に捉える、という癖がある人もいると思います。
そして、考えすぎやネガティブ思考になった挙句、人に当たってしまったり、人間関係が壊れてしまったり、不安や心配のあまり身動きが取れなくなったり、ストレスのあまり体調が悪化したりと、私生活に大きな影響を及ぼす人も少なくないでしょう。
考える必要のあることであれば、しっかり考えるぶんにはいいものの、余計なことや、考えても答えが出ないことまで延々考えすぎて、実生活に多大な悪影響を及ぼすようなら対策が必要になります。
何事も、過剰は厳禁。
それでは、心配性やネガティブ思考、考えすぎをやめたいと思ったときに、一体どんな対処法があるのでしょうか。
お笑いコンビ、オードリーの若林さんも、まさにその「考えすぎ」「ネガティブ」という沼から、なかなか抜け出せない性格だったようです。
過去には、若林さんのエッセイ集『社会人大学人見知り学部卒業見込』で、次のように自身の「考えすぎ」について書いています。
物心ついた頃から「考え過ぎだよ」とよく言われる。
最近では、付き合いが長い人に「何度も言われてるとは思うけどさ」と前置きのジャブが入ってから「考え過ぎだよ」と言われるようになっている。避けれない。
考え過ぎて良いことと悪いことがある。ぼくの場合は考え過ぎて悪い方向に行っている。ということだろう。
みんなはなんで考え過ぎないで済むんだろう? どうすれば考え過ぎなくなれるのか? と、今度は考え過ぎない方法を考え過ぎていた。
出典 : 若林正恭『社会人大学人見知り学部卒業見込』
考えすぎが、よい方向に向かえばいいものの、悪い方向に向かうと、考えすぎた結果、気づくとネガティブの底に向かっていく、ということになります。
ある年のお正月のこと、若林さんは、仕事モードからスイッチを切り替えるために、芸人仲間と箱根に旅行に行き、一人で温泉に浸かっていました。
露天風呂に竹林と、のどかな場所でリラックスしよう、という目的でした。
しかし、ふと、「あれはいつまでにやらなきゃいけないんだっけ」という思考のスイッチが入ると、それからはもう案の定、〈こんなことをしていていいのか〉、〈この先どうなるんだろう〉と心配や不安のループにはまり、たちまち、ネガティブ思考に入っていったそうです。
自分に巣食うネガティブモンスターは、「一人でゆったりしているときに現れる」と気づいた若林さん。
一般的には、瞑想をしたり、自然のなかで何も考えない、空っぽの時間は重要だと思いますが、ゆったりとした環境は、むしろ若林さんにとってはネガティブモンスターに付け入る隙を与えることになる、と考えたようです。
そして、自分のネガティブ対策に必要なのは、「没頭」ではないか、という結論に至ります。
若林さんは、知り合いの作家さんの奥さんが、「悩みに襲われているときは、掃除に集中する」という話を思い出し、改めて納得します。
「あれも、没頭によって、ネガティブを体外に排出する行為ではないだろうか」
この「没頭」という対処法に思い至った若林さんは、さっそく自分が没頭できそうなものを書き連ねた、「没頭ノート」を作ります。
若林さんが、思考やネガティブのスイッチが入りそうなときに使えそうな「没頭」として挙げたものは、「読書、競馬、アメフト観戦、ネタ作り、ジェンガ、生姜焼きを作る、トイレ掃除、乗馬」
ただし、書きながら、ギャンブルはだめだ、と思います。「ネガティブを滅ぼすと共に、身も滅ぼす。」
だから、そのなかでも、出来れば体や心に良いものであったり、仕事の役に立つことがいい。結果として、この「没頭」を使いこなすことによって、悩みの深みにはまり込むことはなくなったそうです。
ネガティブへの対処法としては、頭で無理やりポジティブな考え方にしようとする、という方法もあるのかもしれません。
しかし、若林さん曰く、ネガティブモンスターと対峙するために必要なものは、「ポジティブ」ではなく、「没頭」だ、というわけです。
没頭していたら、考えすぎもいつの間にか消えている。
この数年後に出たエッセイ集でも、若林さんは、失恋で悩む青年へのアドバイスとして、自分自身の経験も踏まえながら、没頭の効用について書いています。
もともと、その失恋に関するエッセイを書くきっかけとなったのは、ラジオで出待ちをしていた男の子の、「彼女に振られて何ヶ月も立ち直れないんですけど、どうしたらいいですか」という質問でした。
若林さんは、その瞬間は、急な質問で頭が回らずに、思わず、「新しい恋をするしかないんじゃないの?」と答えたものの、改めて、文章を通して、自身が20代のときに、6年も引きずったという失礼経験をもとに、乗り越え方に関する考え方を書きます。
当時は全く売れていないときで、ファンも事務所も認めてくれないなかで、彼女だけが自分を肯定してくれる存在だからこそ、深く依存してしまっていたようで、振られたショックのあまり、若林さんは過呼吸になって倒れたこともあったそうです。
相談されるのが嫌だとエッセイには書いてありましたが、自分が失恋で悩んだ経験があったからこそ、もう一度丁寧に文章で回答しようと考えたのかもしれません。
そのときは、彼女を忘れようと色々な方法を試し、たとえば、彼女の「嫌いな部分」をノートに書き出してみたようです。
しかし、書いても書いても、思い出す彼女の「嫌いな部分」がそれほど悪いことのようには思えず、効果はほとんどなし。
また、『恋する惑星』という映画で、失恋した男が公園でひたすら走るというシーンに影響を受け、若林さんも走ってみたものの、走るほどにアドレナリンが高まり、このまま彼女のもとに走っていきたくなるなど、逆効果だったようです。
さらに、その行き場のない感情からか、上半身裸になって公園の生垣に走って突っ込んで傷だらけになり、この行動を、若林さん自身、一種の「自傷行為」だった、と表現しています。
そんな風に、失恋を乗り越えるために色々と試行錯誤したなかで、若林さんが、失恋の乗り越え方としておすすめしていた方法が、「シャットアウト」です。
失恋で一番辛いことは、自分には価値がないと落ち込み、自分自身を責めるようになること。だからこそ、その「自分を責める」という思考をひとまずシャットアウトする(閉め出す)ことが肝心だ、というわけです。
シャットアウトする方法は、何かに「没頭」する、ということ。若林さんは、エッセイで、こういうときのシャットアウトと没頭の重要性について書いています。
シャットアウトに効果を発揮するのは没頭だ。それは、仕事かもしれないし、趣味かもしれない、友達と会うことかもしれないし、アイドルを応援することかもしれない。無料のゲームアプリかもしれないし、筋トレかもしれないし、新しい恋かもしれない。とにかく自分が「楽しい」と思えることで埋めまくるのだ。なるべく金がかからないものがいい(金がかかるものは、そこに付け込んでいるから)。それを何ヶ月も(何年も)続けて、いつのまにやら「あれ? そういえばあんまり考えなくなったな」という時が来ればしめたものだ。
放っておくと、どんどんと自分の駄目な面と向き合わざるを得なくなり、落ち込んでいくからこそ、その空白を、自分が「楽しい」と思うことに没頭することで埋める。
このとき没頭することは、仕事でも、趣味でも、友達と会うでも、アイドルの応援でも、無料のゲームでも、筋トレでも、新しい恋でもよく、その場合は、「なるべくお金がかからないほうがいい、付け込んでいるから」というのが若林さんの優しさでもあり、考え方が表れている面でもあるのでしょう。
こうして没頭を数ヶ月、数年と続けていると、気づいたときには、あまり考えなくなっていたな、というときが訪れると言います。
考えすぎ対策に重要なことは、意識的なシャットアウトや没頭。
何年か前に、お坊さんの書いた『考えない練習』という本が大ヒットしたことがあります。
世の中は、SNSを筆頭に、色々と考えすぎのスイッチが入ってしまうような情報で溢れているので、考えすぎの人にとっては、いっそう生きづらい世界かもしれません。
そのために、SNSやスマホから離れる生活を送ったり、温泉やマッサージで身体をリラックスさせるようにする、瞑想などを習慣に取り入れるなど、引き算の発想によって対処することが合っているという人もいるでしょう。
一方で、思いっきり何か一つのことに没頭する、といった形によって対処することが合っている、という人もいるでしょう。
加えて、若林さんが書いているように、この「没頭」の対象は、一つ間違えると、身を滅ぼすような依存症にもなり得る危険性があります。
だから、没頭する対象としては、「あまりお金がかからない」「体や心によいもの」「仕事に活きそうなもの」などを選ぶとよいでしょう(でも仕事から離れる意味もあるなら、今の仕事と直接関係がないもののほうがよいかもしれません)。