雑学

宮下草薙のネタ作成者

宮下草薙のネタ作成者

お笑いコンビ宮下草薙の草薙さん(本名は草彅航基)は、1991年生まれで愛知県名古屋市出身。子どもの頃から大人しく、小学生、中学生、高校生時代とずっと物静かでほとんど誰とも喋らず、勉強も運動も不得手だったようです。

家に帰ってテレビを観ることもなく、性格は極度の心配性とネガティブ思考、弟の出来がよいことからも卑屈になります。高校は、入学式と身体測定の二日のみ出席しただけで中退。中退の理由は、身体測定の際に「胸板が厚い」と軽くいじられたことによって、いじめられると不安になり、入学後すぐに中退します。

中退後は、警備員、ごみ収集、宅配などのバイトを転々とするも、どの仕事も二ヶ月程度で退職。ごみ収集のバイトでは、終わったあとにみんなで事務所の風呂に入るのですが、裸を見られるのが恥ずかしいという理由での退職でした。

その草薙さんが、芸人を目指すようになったきっかけは、『爆笑レッドシアター』で観たはんにゃのネタ。以来、はんにゃが好きで、あんな風にみんなを元気にする芸人に憧れるようになったそうです。

また、『ヘキサゴン』で島田紳助さんが言った「こいつら(おバカタレント)は、社会に出ても役に立てへん。でも芸能界に入ってくれば一発逆転あるんや」という言葉に感銘を受け、NSC(吉本養成所)の面接に行きます。しかし、NSCは落とされ、人力舎も履歴書で不合格。その後、太田プロの養成所に入所。

相方となる宮下さんとの出会いも、この養成所でした(草薙さんは、宮下さんとコンビを組む前に三度の解散を経験、いずれも草薙さんが相方に嫌われたり空気が悪くなってそのまま、というのが解散の理由だったようです)。

一方の宮下さんは、1990年生まれで群馬県佐波郡出身。本名は、宮下兼史鷹(けんしょう)です。

小学校三年生の頃にバカ殿に憧れ、当時はクラスメイトを笑わせる人気者タイプだったものの、四年生頃からぜんそくになり、運動ができなくなったり両親が離婚するなどが原因で歪み始め、中学時代には、モノマネで笑いをとる同級生に「お前の手柄じゃない」と嫌味を言うこともあったと言います。

ちなみに、宮下さんの父親は、「群馬最強伝説」と呼ばれる地下格闘家の桜井マック秀樹さん。普段は「桜井シール」の代表で塗装関係の職人をしているようです。

両親の離婚後、宮下は母と一緒に暮らすも、その母親が心の病で入院、働かなくてはいけなくなったことから高校一年の夏休み終わりで中退し、当時の母の恋人だった大工の棟梁のもとで働き始めます。しかし、一年半ほどで母親と棟梁が破局し、気まずくなって宮下も退職。その後、父親の仕事場で働くようになり、養成所に行くための費用もこの時期に貯めました。

太田プロの養成所時代には、宮下さんは、ピン芸人として尖った話芸一本のネタで、「俺のセンスを見ろ」「俺のネタで笑わない奴はセンスがない」と自信満々。作家のダメ出しにも食ってかかっていたそうです。草薙さんは色々とコンビを組むも、そのたびに相方に嫌われるなど不仲となり、三度の解散(元コンビの名前は「スーパーキングドラゴン」)。

もうこれで芸人を辞めようと思っていた頃に宮下さんに声をかけられ、2016年に「宮下草薙」を結成します。

他の芸人は見下していた宮下さんが、草薙だけは面白い、と惚れ込み、「じゃないほう芸人」になってもいい、草薙に芸人を続けさせることが自分の責務だ、と決意。三度のコンビ解散によって芸人の道を諦めようとしていた草薙さんを誘いました。

コンビ名の由来は、そのままお互いの名前ですが、ただ、草「薙」さんの本名は、本来は草「彅」であるものの、宮下さんが、コンビ名を登録する際に間違って登録してしまったようです。

画像 : 東京新聞(笑う神 拾う神)

コンビ仲は複雑で、仲が悪いとも良いとも言えない関係らしく、喧嘩になることもあるものの、喧嘩になっても、宮下さんが最後は折れることで収拾するそうです。それでも、トーク番組などで二人を見ていると、喧嘩はしても、お互いの信頼関係が伝わってくるような空気感が伝わってきます。

宮下草薙は、漫才が主なスタイルで、草薙さんの性格をそのまま描写したようなネガティブな妄想や不安の連鎖に、宮下さんがツッコミを入れる、という芸風です。

ネタ作成者は、基本的に草薙さんが担当しています。草薙さんが、実体験をもとにしたネタ作りをし、LINEで宮下さんに送り、宮下さんがツッコミを考えたりネタの修正をする、という形のようです。

一見すると、宮下草薙では草薙さんがキャラが強く、宮下さんがブレーンで「ネタを書いている方」という印象も抱きますが、草薙さんの実体験がもとになっているからこそのネタのリアリティなのかもしれません。